vol.13合評

 

アンタイトル・ヒーローショー 河合舟

 ヒーローも怪人も、戦いが終わればただの人間である。ちょっと頼りない主人公が運命の恋人と幸せを掴む。そんなベタな大筋が、ヒーローと怪人という敵対する立場が絡むことによって色づき、キャラクターの関係性が持つ魅力を際立てていきます。主人公のコミカルな語り口も軽快で、あちこちに散りばめられたウィットが絶妙。読み終えたあとには心地のいい爽快感が残る。「アンタイトル・ヒーローショー」は、そんな人間ドラマのワンシーンを切り取った一作でした。(こうだ葵)

 

テッペン こうだ葵

 高校野球でテッペンを経験してさらなる高みを目指す道中、将来戦うことを約束した戦友との別れや自身の挫折から、野球の世界から遠ざかった主人公が立ち直る話。……と言ってしまえば簡単ですが、この短さで綺麗に話をまとめあげているこうださんの筆力が素晴らしいです。努力しても報われないこともある、という読み手にも伝わるリアリティが非常に心に刺さりました。ただ、辛いリアリティの中にも、故障しても諦めず野球から去ってしまった主人公を思う戦友の思いと努力、そして願いが叶ったところに物語ならではの希望を感じましたし、とてもいい読了感でした。また、野球と言っても高校野球やプロの世界ではなく社会人野球という所も非常に興味深かったです。(河合舟)

 

虹の瞳の魔法使い 月城まりあ

 大切な人と幸せに生きるために、誰のためでもなく自分自身のために、少女はヒーローという名の犯罪者となる。ヒーローとは何か、本当に大切なものは何なのか、読み返すたびに問いかけられる作品でした。

 峡谷と山に囲まれた町。そこで誰にも知られることなく暮らしていた虹色に輝く魔法の瞳。その輝きに魅せられた祈里が、瞳の持ち主である羽衣と友情を深めていく過程が月城さんらしい繊細な描写で表現されています。それ故に、淡々と引き返せないところまで進んでいく祈里の姿が、とても印象的に映ります。

 きっと祈里自身がいうように、彼女がそれまで信じてきた神は彼女を許してはくれないのでしょう。己の犯した行為が、後に暗い影を落とすかもしれません。それでも羽衣と共に歩むために、前を向く彼女は凛々しく、彼女が魅入られた虹色の瞳のように輝いているように私には感じられます。そして祈里が己のために手を汚した悪役なのか、友人を守ろうとするヒーローなのかは、読者によって見解がわかれることでしょうが、誰よりも強く、純粋に友のことを思ってくれた祈里は羽衣にとって、紛れもないヒーローであると思います。(藤沢静雄)

 

報春花 藤沢静雄

 出だしが噺家の語りというのが説明口調を和らげる効果があり、現実の日常から非日常の物語への誘導としてとても良いと感じました。閉幕も同じ噺家の語りに戻ることで、また現実に戻っていく読後感の良さがありました。

 また、他にも様々なエピソードがあると匂わせることで続編なども期待させられてしまいます。

 本編は玉英がヒーロー役であり、噺家の語っているメインの人物ですが、視点の中心にいるのは淑香で、まるで彼女の物語に見えるところが巧妙でした。淑香にとってのヒーローは玉英でもありながら、安俊でもあるのだと思いました。

 藤沢さんの作品はいつも普通の女の子が特殊な運命の中で普通に恋をするものが多く、魅力的な世界設定と普遍的な恋心の対比が良いと感じます。(月城まりあ)

 

灯は暗く、されど導となり 鳥谷

「でも私や、事件を知った人は、殺さなかったあなたを讃えると思う」

 ピートとロイ、対照的な二人の男を描いた物語。

 復讐を軸にしてはいるものの、テーマは友情だと私は思う。宿敵サイモン・ベイツは悪人は悪人でも酷い小物で、台詞も少なく、キャラクターとしての魅力はほぼ無い。が、その分、そんな奴に全てを奪われた二人の怒りと、簡単に壊されてしまう日常の脆さが生々しく伝わる。映画や娯楽小説の悪役は格好良いが、現実の悪人はサイモンのような奴ばかりだ。

 全く違う選択をしていながら、二人の出発点は一緒である。殺されたミカエラはピートにとっては妹であり、ロイにとっては婚約者だった。作中で『ヒーロー』と言われているのはロイの方だが、ピートもヒーローには違いない。寧ろ、リズのような人間にとっては、刑事のピートこそがヒーローであり、ロイは単なる犯罪者である。少なくとも、世間的な評価を受けるのはピートの方だろう。

 しかし、ピート自身はどう考えているのか。ピートが復讐を拒んだ理由は、単に彼が職務に忠実な人間だから、というわけではない。

 感情は風化する。残酷なようでも、現実としてはそうだ。価値の無い犯罪者の為に、自分の手を汚す遺族の方が実際は少ない。どんなに悲しくても、自分たちは生きなければならないし、生きる為には働いて稼いで食事をして睡眠をとらなければならない。そんな日々の中で憎悪の心を持ち続けるのは、並大抵のことではない。

 五年間も憎悪を抱き続け、親友が最も望まない道を選んだロイは、最早正気ではないのだろう。しかしピートは、彼に対し申し訳なさと、少しだけ羨ましさを感じているようにも見える。家族を失い、親友を失い、仕事に逃げるしか無かったピートは、日常に追われるうちに復讐の心を失くしてしまった。ロイとの再会をピートが素直に喜べなかったのは、ロイが明らかに裏社会の人間になっていたから、というのも勿論あるが、妹とロイに対し罪悪感を抱き続けていたせいもあるのだろう。

 ピートがロイを見逃したのは、ロイが今後も『ヒーロー』として悪人狩りを続けることを、心のどこかで望んでいたからではないか。一度はロイを逮捕しようとしたピートは、親友に逃げられた時、何を考えたのだろう。『なぜだ』と呟いたロイは、どんな思いでピートから逃げ出したのだろう。

 一番傍に居てほしい時に、ロイは消えてしまった。あの時ロイが傍に居て、ピートを復讐に誘ってくれていたら。

 ピートが大切だからこそ、巻き込みたくなかったというロイの気持ちも理解できる。

 どちらが正しいのか、決めつけることは無意味だと思う。きっと、どちらも間違ってはいないのだ。(暁 壊)

 

やがて怪人という名の炎/Hands off The girl  花森美咲

 まず、タイトルが格好良い。私は自分のタイトルセンスに自信がないので、割とタイトルは重視します。
 内容については、何というかこれまでの花森さんとは一風変わっているような。いや、内容自体はそうでもないか。ただ、ジャンルが変わったような気がする。これまではどっちかと言えば現実的などろどろとした闇の部分を書いていたような印象があるんですが、今作はあんまり現実的ではない。SFになるんでしょうか。非日常系とも呼ぶ。私はこういう非日常系が大好物なので、読んでいて面白かったです。

 あと花森さんの書くキャラは「らしさ」があって良いですよね。ちょっと鬱屈した少女が得意のようにも感じる。ねばっこい女性というか。悪役が魅力的に書けるのは強みだと思います。今作はこれ一本で完結してますが、連作にしても面白いんじゃないでしょうか。花森さんの書く悪役というか、悪い奴を色々読んでみたいです。(灰音ハル)

 

行き先道連れ 橙雫れき

 オスカーとりゅうくんの冒頭の会話シーンが衝撃的というか目を引き気づいたらがっつりと引き込まれていました。一見ただ明るいだけ、または明るく振る舞ってるだけだと思っていたりゅうくんが、オスカーの本音を見抜くのにはギャップ萌えのような感覚がしてしまいました。意外と相性の良いオスカーとりゅうくんのペアの冒険をもっともっと読みたいです。(もこ)

 

舞台裏の英雄譚 琴平織

 一人語りのスタイルは、単調になりやすいのですが、文章量と作品の仄暗さに合っていて効果的でした。終盤に連れてリフレインされる台詞が、徐々に重たさを増していくのも技巧的でした。「存在意義の証明」は現代小説において、大きなキーになっていると思います。誰のためのヒーローであるのかという葛藤を、腹に抱えながらもヒーローに笑顔を浮かべ続けるあたり、主人公の人間味を感じました。(涼風弦音)

 

永久のザッド 灰音ハル

 神と英雄はどことなく似ている。その「枠」に少しでも足を踏み入れてしまったなら、もう二度と人には戻れない。きっと最初は何者でもなかった、何かですらなかった。だれかを思う気持ちがほんの少し強かったとか、他人の苦しむ姿を黙って見ていられないだとか、たったそれだけ。それだけで外れてしまった。外れてしまったという意味では”悪魔”と表裏一体だ。唯一、悪魔とは違う、墜落しなかった決定的な点は「そこに愛があるかどうか」だろう。けれど、人は愚かな生き物だ。自分以外の「なんとかしてくれる」存在が現れると、途端に他人事になる。すると、彼を神 もしくは英雄たらしめていた理由が報われない孤独や終わりのない疑問、永遠に続くような痛みに侵食されていく。だけどもう、人には戻れない。死ぬか、化け物に成り果てる以外の選択肢が彼にはあっただろうか。死ねない体に、何度も刃を突き立てては絶望に唇を噛みしめる。

 神や英雄は、色んなものが見えすぎてしまうのだ。人間の良いところは、見えすぎないことだ。だからダディは左目を奪った。左目は、宗教上では「邪悪」「呪い」を表すと言われている。また柳田国男は日本の神の像に「左目」のつぶれた像が多いことに興味を抱き、「片目を傷つけ神へ供することで、『神の使い』になった」という説を発表している。英雄という枠から外れ、無事墜落したザッドだけれども、やはり人と交わることは叶わない。けれど猫のクヌートは人ではないし、でも「人知れず戦っていた」のであって、猫は英雄だったことを知ってるから。自分のことを知っているけれど、知らない存在のありがたさには、私にも覚えがある。きっとこの先、ザッドは何度も約束をして、その度に忘れて。英雄から墜落した自身のことをチクリと刺される。それでも、二人は等しい歩幅と距離で一緒に生きていくのだろう。

……と、ここまで書いておいてなんですが、結構読み解くのに時間がかかり、理解が追い付かず友人にヘルプを出したらマクスウェルの悪魔とシュレディンガーの猫じゃね? とすぐに助舟を出してくれました。は、博識~~~!!!!(花森美咲)

 

ウツ垢だったら既読スルーされてもいいね! 長尾早苗

 SNSなんて、無くたって平気で生きてこられたはずなのに、知ってしまったらそれ無しの生活を送ることは、なかなかどうして難しくなってしまった。液晶画面の向こうの誰か、そちら側から見つめられる自分、見つめられるから作り上げた「私」。「いいね!」では、いくらでも繋がっているのに、SNSは、決してそのまま現実ではない。「既読」の表示に監視されて、「本当の友達」は、本当の自分はどこにいるのだろう。スマホを割れたらどんなにいいだろうと思うけれど、踏んだスマホは、果たして割れてくれたのだろうか。この詩に描かれているのは私だ、とさまざまな人が思うことでしょう。現在にはびこるありとあらゆるSNSの、その仮想現実にとらわれてしまった人の現実を、切ないほどに鋭く抉りだし、それでいて優しく描き出しているように思います。(浅井)

 

守護霊ライン 新名ちか

 主人公の咲ちゃんと守護霊のテンポよくコミカルなやりとりと生活感、そして同じクラスの男子からの告白をきっかけにぎこちなく戸惑う二人(?)のやりとりが見ていて面白い作品でした。

 死者であり、言葉のやりとりは電子機器の上で、何もないただの空気にしか見えない存在であろうとも、守護霊と咲ちゃんがお互いを想い合う絆に、どこかほっこりした気持ちになります。(櫛川点滴)

 

幸せの青い鳥を、捕まえて もこ

 我々が日常利用しているSNS、何気なく投稿した写真や呟きが思った以上に拡散して「まさかこんなことになるとは」と投稿者が述べるところまでが様式美のような気もする今日この頃ですが、学術的な判断だとか情報の正誤とかはさておき、人々の感情に訴えやすいものになっているのは確かなのではないかなあと思います。

 この話に出てくる人物たちはみんな情報に踊らされているなと思いました。行きつけのカフェ店員・ツチダ君に熱をあげる視点人物のOLは、お洒落なカフェやイケメンの店員がいるというツイッターの情報につられて店を訪れた女性客を大層嫌悪している一方、同じくツイッターの「土田はクズ」というたった一つの呟きに踊らされてしまいます。それと、本編でも記述があるのですが、カフェの店員と客という関係上一番よく触れる情報は相手の外見で、相手のプライベートなんてこれっぽっちも分からないと考えると、これも一種情報に踊らされていることになるのかなあ、と。結局、彼女が嫌悪している「にわか」の女性たちと同じなのではないかと思いました。そしてそれはツチダ君も例には漏れません。

 ラストのシーンもなかなかに後味が悪くて好きなのですが、真偽はともかく大衆の信じたい情報が力を持ったり、筋道が通って「そういう物語として理解できてしまう」情報が信じられやすくなってしまうのかな、と思いました。幸せの青い鳥、めちゃくちゃ皮肉なタイトルです。(横井けい)

 

お前がな 櫛川点滴

 最初から最後まで重い雰囲気でまとめられており、読み手として主人公へ思わず本気で怒りを感じるほど描写が濃密で重量感のある作品でした。文体としては重苦しくなく、頭に入ってきやすい文章なのに、表現や世界観がきちんと統一されていることでその世界の息苦しさが伝わってくるところも大変魅力的です。読んだ後の感想がそのままタイトルに繋がっていると気づいた時に、すごい! と思わず感動しました。タイトルと話の繋がり方がとても見事で、このことを頭に置きながらもう一度最初から読むと、何と皮肉のきいた文章なんだろう、と初見では感じられなかった印象を作品に持ちます。(新名ちか)

 

横浜ロマン譚 涼風弦音

 何気ない日常から訪れる非日常がまさにロマンで、舞台は横浜であることもあわせて、すてきな雰囲気が漂う作品です。背伸びをしている女の子と、大人だけど無邪気な面を併せ持つ男性の、二人の会話がどこかゆったりとして、まさに二人だけの秘密めいた空気を作り出しています。最期の作品の続きを読者に想像させる展開も、この作品を膨らませるようで、タイトル通りの横浜ロマンの世界へと連れて行ってくれます。(琴平織)

 

きょう、姉が死んだ 長谷潤子

 一行目から自分の感情や世界の不条理を突き付けてくる「姉が死んだ」から世界が広がっていきます。この「死んだ」には、名付け、というものが大きく関わってくるのではないかと思いました。名付けられたとき、人は初めて存在を認識されたもの、生きるものとなります。三連目まで読むと、「白装束 美しい化粧」「姉の体は家を出ていく」と「姉」は結婚して苗字が変わり、「わたし」の家を出ていくということが明らかになっていきます。この「体は家を出ていく」というところも面白かったです。そこで二連目に戻ってみると「年始に受理された届出」が婚姻届だということがわかります。苗字が変わることで名前が変わる。そして、四連目まで読むと、姉の旦那になる方でしょうか、その「男」に「わたし」は非常に不愉快な思いをしていることが伺えます。その「わたし」にとっては忌々しい「男」によって「姉」は名付けられ、旧姓である「姉」は家族から出てゆき、「死んで、物になった」と書かれています。また、この詩にはインターテクスチャーの「椅子」が出てきます。「椅子」は中原中也の詩にも出てくる「椅子を失くした」というフレーズが引用されているように感じました。この詩では「椅子を失くした」ではなく「椅子を盗んでいった」。それは、「男」によって「わたし」がこの家で暮らす生活の場所、安らぎさえ奪っていった、そして「姉」を盗んでいったということになるのではないかと思いました。「物になった」というのは不思議な比喩ですが、「所有物」として考えると「男」のものになった、妻になってしまった。もう「姉」は生きていない、というところまで考察ができるのではないかと思われます。結婚とは不思議な制度です。愛する二人が結びつくのはよいけれど、「家」という名目のもとに集団となった「家族」がばらばらになること、それを半ば冷ややかな目線で(あるいはとても不条理なこととして)見ている「わたし」の伝えたいことがダイレクトに伝わってくる作品でした。周りはみな「おめでたい」と言っているのに「わたし」だけが「男」に対する怒りや涙を持っていることで、周囲への伝えられない、自分だけの違和感や怒りがあったのだと思います。「姉が死ぬ」ということが「結婚」という、言い換えてみれば正反対の部類に関することに位置付けられているところに、筆者の詩的なセンスが光っているなあと思いました。(長尾早苗)

 

不在の町 暁 壊

 サボテンだらけの不毛な砂漠、治安の悪いゴロツキの町、そこに降り立つ眼光鋭いテンガロンハットの男……マカロニウエスタンと聞けば血が騒ぐので、冒頭からシビれっぱなしでした。しかも、エイリアンの侵攻、軍事実験で生み出される怪物、一握りの人が持つ超常の力といったSF要素も根幹の設定に組み込まれていて、ハリウッド映画のような世界線にある町なのだなという印象です。そして今回の舞台となる町の治安が悪いこと!(大好きです)流れる水は清いままですが、溜まってしまえば淀むし腐る。そんな停滞感の底にある町や人々の描写が巧みだなあと思います。また、この物語は町で生まれ育った若者と他所から来た男の二人が主な視点人物を担っている群像劇です。前述のテンガロンハットの男に特にやることもなくぶらつく三人組、パブで働くウエイトレス、サボテン料理ばかり作る老婆、そして猫と呼ばれる美しい女などなど、魅力的だけど癖も強い人物が登場してはあっけなく退場してしまいます。彼らは決して名前で呼ばれず、「黒シャツ」とか「熊髭」とか主に換喩的な表現で呼称されるのですが、それがまた世界観のハードさに磨きをかけています。好きな箇所を挙げればキリがないのですが、特にラストが印象的でした。サボテンの下に打ち捨てられたガラクタから覗く赤いマントや黒いマスク。さらに「不在の町」というタイトルとも相まって非常にシニカルで痛烈な締めくくりとなっています。(横井けい)